連載コラム「谷山浩子 Favourite Things A to Z」

T 谷山家

谷山家

谷山家は四国高知の出です。高知市から西へ行った須崎市の、さらにそこから山に入ったところにある葉山村に谷山家の先祖が住んでいたそうです。

私の曾曾おじいさんの代まではそこの大地主だったそうですが、曾曾おじいさんは大変な道楽家で、一代で財産をすべて使い切って没落してしまったとのことです。それで、曾おじいさんの代は貧乏になってしまい、地道に農家をやって暮らしていたそうですが、地元では長老のような存在だったらしい。その息子が私のおじいさんで、私は一度も会ったことがないんですが、物静かな人だったそうです。そのおじいさんには9人の子どもがいて、下から3番目が私の父親です。

おじいさんは子供たちに「都会に出て行って自分で身を立てろ」と言って、わたしの父も高知を出て都会に出てきたそうなんです。おばあさんは不満だったらしいんですが。そのおかげで、私は横浜で生まれることになったんです。兄弟9人全員が独立して、それぞれ会社を経営したりお店をやったり、私の父とその下の弟はミュージシャンになったんです。父は昔、ビクターのオーケストラに所属していて、私が物心ついたころは横浜のダンスホール、クリフサイドのビッグバンドで演奏していました。

私の実家は家を建てたくらいだったので、お金がないわけではなかったと思うんですが、なぜかいつも貧乏感が漂っていました(笑)。母親が、洋服や下着を少ししか買ってくれなかったので、身体検査や修学旅行が嫌で仕方ありませんでした。そんな母親は少女趣味をもっていて、いろんな面白いことを思いつくんです。「毎年誕生日に真珠をひとつずつプレゼントして大人になったらネックレスにしてあげる」と言われたのに一年で終わってしまったとか(笑)。でも母親は基本的にはケチだったけど、本はよく買ってくれました。おもちゃは全く買ってくれなくて、わたしが持っていたおもちゃは全部、近所の人や親せきの人たちがくれたものでしたが、本だけは別でした。その他にも、私が「ピアノを習いたい」と言ったら、すぐに習わせてくれたり、そういうことには理解のある母親でした。

小学校の高学年になると、母親にお受験をさせられました。家庭教師が教科別に3人、それに地元の塾と東京の進学教室に通っていました。毎日曜日、横浜の自宅から御茶ノ水の進学教室までひとりで通っていたんです。それまではピアノの練習について私に厳しく言っていた母が、家庭教師が「習い事はやめさせてください」と言ったとたん、「やめていいわよ」って(笑)。早熟だった私は、勉強は好きではなかったけど、成績はよかったんです。家庭教師と塾の勉強だけで、家では宿題くらいしかしていませんでした。だからお受験のときにタイガースに夢中になっても、ちゃんと合格しました(笑)。

今思うと、子どもの頃に母親が買い与えてくれた多くの本と、早くからピアノを習わせてくれたことが自分にとってとても大きかったと思います。

T ザ・タイガース

ザ・タイガース

小学校5年生から中一までの2年半、タイガースの大ファンでした。その頃はチケットを買ってコンサートに行くということを知らなかったので、チョコレートの懸賞企画などに応募して当選したら招待されるコンサートに行っていました。父のコネで日劇でコンサートを見たこともあります。

当時のタイガースは明治チョコレートがサポートしていたんです。明治チョコレートのCMにタイガースがよく出ていたし、タイガースの映画を見ても必ず明治のチョコレートが出てくる(笑)。明治チョコレートには縁があって、私がタイガース・ファンになる前のアイドルが「鉄腕アトム」で、そのアニメの提供も明治チョコレートだったんです。だから小学生の頃は明治のチョコレートばかり食べていました(笑)。

タイガースの作詞コンテストにも応募したことがありました。ファンが作詞した曲をタイガースが歌ってカラーレコードになるという企画があって、それに応募したんです。採用されなかったけど、カラーレコードを集めていました。

タイガースの中では、私はドラムのピーの大ファンでした。ちょっとトヨエツ似な感じでカッコよかったんです(笑)。でも、私のタイガース熱は中一のときに初恋の始まりと同時に終わりました(笑)。初恋は完全な片思いだったんですけど、タイガースどころではなくなってしまい、熱が冷めていきました。シングルでいうと「嘆き」まで。今年、タイガースが再結成するというので、ぜひライブを見にいきたいと思っています。